| 2008/02/23(Sat) |
去る2月19日、テオ・マセロが他界した。享年82。
マイルスとの初仕事は、1956年9月10日、レナード・バーンスタイン監修のもと、「スウィート・スー、ジャスト・ユー」のアレンジャーとして。 3年後の59年、『カインド・オブ・ブルー』アルバム化の作業途中からプロデューサーとして関与、以後83年『スター・ピープル』まで、マイルスのほとんどのアルバムをてがける(デイヴ・ブルーベック、セロニアス・モンク、デューク・エリントン、チャールズ・ミンガス等々のプロデュースも担当していた。テオいわく「最盛期には同時に25組のアーティストを担当していた」)。 以前、テオに聞いたところでは、プロデュースを担当したアルバムでもっとも売れたのは、映画『卒業』のサントラということだった(そのことに感謝していたポール・サイモンは、91年にセントラルパークで行われたS&Gの再会コンサートにテオを招待している)。
マイルスのプロデューサーとしてのテオに関しては、ある部分では過大に評価され、ある部分では過小に評価されているように思う。 個人的にも現時点での評価は“保留”の段階にある。 いずれ、なにかみえてきたら書いてみたいと思う。
Teo : Why don't we do this tomorrow? Miles : We are gonna do this tomorrow! Teo : Okay, 'Cause then at one o'clock we'll stop then.
(1969年8月19日、『ビッチェズ・ブリュー』セッション初日のマイルスとテオの会話より。『アンリリースド・ビッチェズ・ブリュー・セッション』収録)
なおドキュメンタリー映画『Play That, Teo』が近く公開される予定。 http://playthatteo.com/ |
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